合併問題について

2002年8月29日付け読売新聞の記事によると、加須の県議2人は大利根・北川辺両町を加須、騎西、羽生の合併パターンに引き入れる活動を始めたとある。
もし、これが実現されるなら、 羽生市5万7千人、 加須市6万9千人、 騎西町2万人、大利根町1万5千人、北川辺町1万4千人、 実に域内人口17万5千人の「新市」になる。

特に目を引かれるのは『「合併をするなら最低でも二十万。」(中略)広域合併の必要性を訴えた。』とされる点で、つまり最新合併のパターンを念頭においた発言と見られるところである。この発言には 行田市8万6千人を含む(合計26万1千人)の合併を目指すという点で自民党県議団が今までより一歩踏み込んだ発言を行ったとみることができる。

が、またこの記事の主旨は「北埼玉地域」の大枠が固まったわけではなく、「北埼玉地域」内の各市(町)が個別に合従連衡を図っている点を指摘している。
行田+吹上、北川辺+大利根+栗橋、加須+騎西がそれだ。

この動きは概ね北埼玉地域としてまとまるざるをえない、という共通認識のなかで合併後の主導権、新市役所の位置など駆け引きがすでに始っているとも言える訳で、同記事中の『行田市が呼びかけて八月九日に開いた北埼玉地域の合併に関する首長会談に、加須市長が欠席するなど、足並みがそろっているとは言い難い。』がその辺りの空気を反映しているようだ。

着々と合併の足場を固めてきた加須市長にしてみれば、熊谷市に振られ、鴻巣市に振られ、んじゃしょうがねーから北埼玉に入ってやっか、よーし、俺んとこへ集まれ!と突然仕切り始めた行田市長に不信感・不快感があるとの想像は難くない。

2002年8月30日




続く