合併問題について

それではなぜこのような「叩き台」が作られたのであろうか。推測の域をでるものではないが、次の2点を挙げたいと思う。一つは「加須市の県に対する影響力が羽生市のそれに比較して大きい」こと。そしてもう一つは「旧北埼玉郡を新市と考えた場合の行田市の意向」。
加須市は伝統的に県志向が強く(畑知事の実家が加須の礼羽)県の元幹部職員が市長だったりする。元県庁職員の特に幹部職員の縦横の繋がりは任意団体を構成して、それなりの強固さをもって維持されている。当然のことながら、現役の県職員に対しても影響力がある。

そしてもう一つの理由と思われる「行田市」の合併に対する考え方であるが、行田市は旧北埼玉郡とは一線を画すもである(あった)。行田市は「羽生市+加須市」に組するより、熊谷市と合併した方が経済圏として旨みがある、と判断しており、事実、任意の合併協では旧大里郡のそれに参加しようと画策していた。
これらの状況で当初の合併パターンが策定されたと考えられるのである。

ところが、最新の合併パターンは、当初の叩き台から旧北埼玉郡エリアともいうべき合併パターン「行田市・羽生市・加須市・騎西町・大利根町・北川辺町・南河原村」に変わってきているのである。

2002年8月22日




続く